実家にて思う

帰省、ではないが、実家に行ってきた。親の生存確認的な意味合いで。

ご時世もあるから、家族は連れていかず、1人で。

 

ウチの親は二人とももう70代後半だが、どういうわけか今年の春に

いきなり家を買った。77歳にして、新築を建てた。

住んでいる家の、10m先に。俺と弟はこんなの意味がないと反対したが、

押し切って建てた。

 

なんで今更、この歳で新しい家なのか。

たまたま実家のすぐ近くに空き地ができたのが引き金だったようだが、

元々の実家は確かに古いし、まあこの点は人の自由だから良しとしよう。

誰だって、何歳だって、きれいな家に住みたい。

 

しかし、どこにそんなカネがあったのか。

俺は正直、ウチは裕福な家ではないと子供の頃は思っていた。

子供の頃に、ほかの友達がしていたような事をウチはさせてもらえなかった。

家族でディズニーランドに行く、スキーに行く、土日に外食をする、流行のゲームを

買ってもらう、などは夢の話だった。家で出る肉が他の家の肉より固かった。

うちはそういう人並みの娯楽をしない家なんだと物心ついた時には思っていた。

ウチはカネが無いんだと漠然と思っていた。

でも、習い事などは色々させて貰ったし、学費は親が全部出してくれた。

 

今思うと親なりの価値観で、裕福でないなりに使うべきところには使い、

残りはすべてもったいない精神から貯金していたのだろう。

親のカネの使い方が自分の人格形成に与えた負の影響は大きいと思うし、

絶対に同じ事を自分の子にはしないけれど、まあ今更仕方ない。

親に対しあまり敬意はないが、

もちろん愛情をもって育ててもらったし、感謝はものすごいある。

 

で、こんなタイミングで本気の金遣いをした。

「家買うカネがあんなら俺たちが子供のときに使えや!!!!!!」と

俺も弟も心底思った。

が、てめえらのカネだから、それで幸福なら好きに使えばいい、と俺と弟は

結論づけた。

 

話が脱線した。

そんで新築実家に帰ったわけだが、父も母もなんとか生きていて、

新しい城にも満足そうだった。

前の家は古くて暗くてクソみたいだったから、これからたまに帰る身としては

まあ悪くはなかった。死ぬ前に、いい買い物したんだな、と思った。

 

自分も不惑になった。もうたぶん半分くらい生きた。

欲しいものは減り、

自分のためより、誰かのために何かをしたい、カネを使いたい、

と真に思うようになった。

実家に帰った際に、色々と生活の悩みを聞き、

親が庭の手入れの際に困っている水まき用のホースをホームセンターに行き、

ジョイントごと新調してやった。

飼っている金魚の水槽がはげしく汚れていたので1時間かけて洗い、

さらに新しい設備に変えてやった。

両親とも、とても嬉しそうだった。

身近な誰かのために時間やカネを使うのが、急に、とても、意義のあるものに感じた。

願わくば、これからもそういうカネを使いたい。

「赤い羽根」「愛は地球を救う」みたいなのは、まっぴらごめんですが。

 

帰りに、孫二人に、とお年玉を渡された。

子と孫はぜんぜん違うのだろう。

ポチ袋の中では、ピカピカの1万円札が燦然と輝いていた。