仕切り

夕飯を持ち帰りの寿司にした時に、

巻物と握りの間とかに挟まっている「緑色の仕切り」を遊びに使いたいという子を

横目で見つつ、妻君が言った。

あとで洗ってあげるけどさ、ところで、これの名前知ってる?

 

俺と子はほぼ同時に言った。

緑のギザギザ。

 

こんなん緑のギザギザだろう。

正確に言うのなら、緑のギザギザの仕切り、だ。

 

バラン。

妻君が言った。

これは、バランです。

 

俺と子らは固まった。

これはギザギザだろう。。。実際、ギザギザだし。

どこがバランなんだ。何がバランなんだ。あ、アルデバランって何だっけ。

 

なんで妻君が知っているのかよくわからないが、

俺の世界にひとつまた名前がついた。子らの世界にも。

身近なものに名前がつく。とてもいいことだ。

 

食事も最後になった頃に、妻君が更に言った。

食パンの袋の口のところについてるプラスチックの留め具の名前、知ってる?

もちろん誰も知らなかった。

妻君は続けて言った。

あれは、バッグクロージャーです。

 

持ち帰り寿司を何となく食べたおかげで、俺たちは新しい名詞を2つも覚えた。

いい一日であった。

 

 

翌朝、工作をしたい子が、お父さん昨日の緑のギザギザどこ?と言った。

実家にて思う

帰省、ではないが、実家に行ってきた。親の生存確認的な意味合いで。

ご時世もあるから、家族は連れていかず、1人で。

 

ウチの親は二人とももう70代後半だが、どういうわけか今年の春に

いきなり家を買った。77歳にして、新築を建てた。

住んでいる家の、10m先に。俺と弟はこんなの意味がないと反対したが、

押し切って建てた。

 

なんで今更、この歳で新しい家なのか。

たまたま実家のすぐ近くに空き地ができたのが引き金だったようだが、

元々の実家は確かに古いし、まあこの点は人の自由だから良しとしよう。

誰だって、何歳だって、きれいな家に住みたい。

 

しかし、どこにそんなカネがあったのか。

俺は正直、ウチは裕福な家ではないと子供の頃は思っていた。

子供の頃に、ほかの友達がしていたような事をウチはさせてもらえなかった。

家族でディズニーランドに行く、スキーに行く、土日に外食をする、流行のゲームを

買ってもらう、などは夢の話だった。家で出る肉が他の家の肉より固かった。

うちはそういう人並みの娯楽をしない家なんだと物心ついた時には思っていた。

ウチはカネが無いんだと漠然と思っていた。

でも、習い事などは色々させて貰ったし、学費は親が全部出してくれた。

 

今思うと親なりの価値観で、裕福でないなりに使うべきところには使い、

残りはすべてもったいない精神から貯金していたのだろう。

親のカネの使い方が自分の人格形成に与えた負の影響は大きいと思うし、

絶対に同じ事を自分の子にはしないけれど、まあ今更仕方ない。

親に対しあまり敬意はないが、

もちろん愛情をもって育ててもらったし、感謝はものすごいある。

 

で、こんなタイミングで本気の金遣いをした。

「家買うカネがあんなら俺たちが子供のときに使えや!!!!!!」と

俺も弟も心底思った。

が、てめえらのカネだから、それで幸福なら好きに使えばいい、と俺と弟は

結論づけた。

 

話が脱線した。

そんで新築実家に帰ったわけだが、父も母もなんとか生きていて、

新しい城にも満足そうだった。

前の家は古くて暗くてクソみたいだったから、これからたまに帰る身としては

まあ悪くはなかった。死ぬ前に、いい買い物したんだな、と思った。

 

自分も不惑になった。もうたぶん半分くらい生きた。

欲しいものは減り、

自分のためより、誰かのために何かをしたい、カネを使いたい、

と真に思うようになった。

実家に帰った際に、色々と生活の悩みを聞き、

親が庭の手入れの際に困っている水まき用のホースをホームセンターに行き、

ジョイントごと新調してやった。

飼っている金魚の水槽がはげしく汚れていたので1時間かけて洗い、

さらに新しい設備に変えてやった。

両親とも、とても嬉しそうだった。

身近な誰かのために時間やカネを使うのが、急に、とても、意義のあるものに感じた。

願わくば、これからもそういうカネを使いたい。

「赤い羽根」「愛は地球を救う」みたいなのは、まっぴらごめんですが。

 

帰りに、孫二人に、とお年玉を渡された。

子と孫はぜんぜん違うのだろう。

ポチ袋の中では、ピカピカの1万円札が燦然と輝いていた。

門松

元旦の朝、下の子が布団に入ってきて言った。

かどまつ、ないの?

かどまつ、ないと、やだ。

 

は?と思い改めて聞くと、

門松がウチにはない。門松がないと新年を迎えられない。という事だった。

ウチはごく普通の戸建てなので、正月飾りくらいは玄関に飾るが、

大層な門松は用意しない。どこで門松情報を仕入れたか。

ドラえもんか。ちびまる子ちゃんか。。。

 

下の子は我が家に門松が無い事にたいそう不満を漏らし、

布団の中でめちゃくちゃ愚図り、門松インザハウス!

門松が無いと正月ではない。門松あり、ゆえに我あり。

門松が無いとこの世は終わる、みたいな事を言った。門松でカツアゲである。

 

今日は買い物に出かける日なので、

わかった、お外で門松みたら一緒に写真を撮ろう、と言ったら機嫌が戻った。

午後に有楽町に行ったら高層ビルのエントランスに

2m以上のメチャでかい門松があり、子と門松で写真を撮った。

少し緊張しつつもダブルピースの子と、後ろにそびえ立つ門松。

意味がよくわからないが満足したようだった。

子も、正月を迎えられたようだ。

 

よくわからないが下の子にはそういうところがある。

冷蔵庫を買い替えたときにも前の冷蔵庫とお別れするのが嫌過ぎて泣いた。

これまた、下取りされゆく前の冷蔵庫がトラックに載る直前に、

ドライバーの方に無理を言って荷台に子を載せてもらい、

前の冷蔵庫と子で記念写真を撮ったら、泣き止んだ。

 

有楽町から帰宅後、暇なので植木屋で門松を頼んだ場合の値段を調べてみた。

160cmの門松は、75,000円だった。

子よ、来年もご所望なら高層ビルのやつで頼む。

白い本を読む

本屋に行ったら真っ白い本が平積みで置いてあって、白っ!と思った。

さらにタイトルが直球むしろ豪速球だったので買った。

エーリッヒ・フロムという心理学者の「愛するということ」という本だ。

 

歳も歳になって、一丁前に愛とはなんぞや?みたいな事を日々ぼんやり考え、

結果わからんのでビールを飲み、あげく眠くなって寝てしまっていた俺にとっては、

きわめて有効な書物であった。

 

 

愛することは与えること。

愛するには技術がいる。

自分の全能力を相手のために使うこと。

その喜びこそがこの世で至上のもの。

 

 

腑に落ちた。このうえなく腑に落ちて、めちゃくちゃうまい

チャーハン大盛りを食い終わった後のような満足した気持ちになった。

自分に愛する力があるのかは分からないが、

俺には、すべての人には、生きる意味があると強く思った。

長い長い気が遠くなるような時間の、ほんの一瞬でしかない自分というものにも、

価値があると少し思えた。

 

 

最近、妙に、脳にこびりつく歌詞がある。

星野源の「化物」という曲の、

 

地獄の底から次の僕が這い上がるぜ

 

という歌詞だ。じ〜ご〜く〜の そ〜こ〜か〜らの部分が特に響く。

曲全体のメッセージとは関係ない。なんでか。そんで、この白い本を読んで思った。

 

どんな形にせよ、かつて地獄をみた事がある人なら。

それでもなお、今日も生きている人なら。

何か思うところがあるかもしれない。

地獄にいる時はつらい。つらいと言えないぐらい、つらい。

地獄だから、地獄のなかに助けてくれる人は回りにいない。地獄は孤独。

 

この時助けられるのは、愛だと思った。

地獄でない場所にいる、愛することができる人だけだと思った。

愛することができる状態の人が俺の地獄には二人いて、見返り無く愛され、

俺は這い上がることができた。感謝しかない。

 

地獄から這い上がった者がやることは1つしかない。

愛することだ。

 

ありがとう120年前の心理学者のおっさん。

いつか雲の上で会えたら、一杯やろうぜ。

買い物

休日に家族でショッピングモールに行った。

俺も妻君もショッピングモールは画一的で好きではないが、

まあ便利ではあるので年に何回かは日用品調達に行ってしまう。

 

プラプラ歩いていると、服と雑貨の店があった。

一番前に、黄色のグッズが並んでいた。

よく見るとケロヨンの風呂桶とバスマットだった。

ケロヨンたまんねえ。自宅に居ながらにして銭湯の気分。

ケロヨンいいわ〜。

俺は妻君に聞いた。これ買わね?家でケロヨン良くね?

妻君は言った。別にいいけど。。。自分の小遣いで買えば?

 

値札をみた。ケロヨンのバスマット2,500円。バスマットに2,500円。

俺はそもそもバスマットを自分で買ったことが無いというか、

一人暮らしのときに1回くらいはあるかもしれないが全く覚えてもいないし

何とも言えないが、たぶんかなり高いのだろうと思った。

 

ううう、わかんねえ。と思い俺は天を仰いだ。

店名が眼前に飛び込んできた。

「niko and...」と看板には書いてあった。

俺は思った。「niko and...?niko and何だよ!」

アンド何だよ!何個だよ!

人がわかんねえときに変な婉曲表現かますんじゃねえ!

 

何なんだこの店!と思って結局何も買わなかった。

そのあと寄った名産品ショップで「ラー油鮭ン!」(らーゆじゃけん)という

鮭を食べるラー油に漬けたやつを買った。

変な名前だが、婉曲表現よりはいい。

 

家に着いた頃にはケロヨンのバスマットが欲しい気持ちはすっかり消えていた。

and...のあとの空白のように。

ミッション

もうすぐクリスマスが近い。今年はやり遂げなければならない

ミッションが我が家にはあった。

それは、

「上の子(小3)がサンタクロースをもはや信じていない事を

しっかり確認したうえで、

下の子(5歳)にあげるプレゼント(自転車)を親が

事前に購入することを黙っていてもらう」

である。

 

ミッションをクリアするための前提条件を以下に記す

・上の子は最近の言動から、もしかしたらサンタはいないのかも、、、と思っている。

・どうしてサンタはいないのかも、、、という考えになったのか背景はわからない。

・親から上の子に「サンタはいない」と教えてはいけない。大人から子供の夢を壊さない。

・上の子はゲームソフト「太鼓の達人」がプレゼントに欲しい。

・下の子は当然サンタクロースを信じている。

・下の子はサンタさんから「自転車」が欲しい。

・自転車は親が事前購入するしかないが、デカ過ぎて家の中に当日夜まで隠し通す場所がない。

・事前購入した「自転車」は家の外にカバーをかけて保管するしかない。上の子はこの方法をとった場合確実に自転車があるとわかる。下の子にはわからない。

 

我々親としては、上の子のサンタクロース幻想を会話から見極めたうえ、

上の子への買収工作および下の子への偽装工作を仕掛ける必要がある。

 

妻君から指令が入る。

妻君:只今よりMISSION-X001開始せよ。上の子が180秒後に風呂に入る。

追尾し風呂にて任務遂行せよ。

俺:MISSION-X001、了解。

 

(湯船にて)

 

俺:あ〜今年のプレゼント何が欲しいんだっけ?

上の子:太鼓の達人。スイッチの。

俺:そっかー。そういえばさ、今年はサンタ来ると思う?

上の子:いや〜サンタさ、来るとは思うんだけど、去年とかサンタからの手紙の字が

お母さんにそっくりだったし、ちょっと怪しいと思ってるんだよね。

俺:(お、疑っている)あ〜、友達とかはサンタのこと何て言ってるの?

上の子:う〜ん、わかんないよねとか本当にいるのかな、とか言ってる子もいる。

俺:どうなんだろうね。

上の子:夜中まで起きてようかな。。。そしたらお母さんがプレゼント置きに

来るかもしれないし。。。

俺:(きた...!ここでキメる…)太鼓の達人、サンタから貰うのと親から貰うの、

正直どっちがいい?もうどっちでもいいの?

上の子:そりゃサンタに貰うほうに決まってるでしょ!ねえお父さん、

今年もサンタ来るかなあ?

俺:あ〜来るよきっと!(...まだサンタ「居て欲しい」んかーい!)

俺:(...こりゃだめだ。作戦変更だ)

俺:あ、下の子のプレゼントは何だっけ?

上の子:自転車らしいよ。

俺:自転車か〜。あ!、そうだ。サンタの白い袋にさ、自転車って入ると思う?

上の子:自転車は大きいよね〜。

俺:サンタも自転車を袋に入れちゃうと他の子のプレゼントが入らないよなあ。

上の子:サンタもそれは困るよね

俺:そうだ。お父さんが先にサンタさんから預かってさ、外において置いて、

クリスマスイブの夜中にサンタに渡そうかな。そしたらサンタも他のプレゼントが

運べるじゃない。

上の子:いいね〜。それなら皆プレゼントもらえるね。

俺:じゃあ、家の端っこに貰ったらカバーかけて隠しておくから。

下の子には黙っておいてくれるか?

上の子:うん!

俺:あとサンタに太鼓の達人欲しいって言っときなよ。

上の子:うん!サンタに手紙も書く!!

俺:(ちゃおとか読んでるクセに、小3ってまだこんなもんか〜い)

 

 

俺:こちら父。MISSION-X001任務完了。

ターゲットの想定以上のサンタ幻想が残存していた為、プロセスを

一部変更したが、結果的に下の子の買収工作に成功。下の子の為に事前に自転車を

購入する事が可能となった。

妻君:ラジャー。

俺:なお上の子の太鼓の達人は、次週極秘購入の必要あり。

追加MISSION-X002が発生。以上。

妻君:MISSION-X002了解。パンツを穿き帰還せよ。

 

 

一生懸命のなかに、少しの嘘と小さな駆け引きを積み重ね、

我々親は子を大人にしてゆく。

 

俺もプレゼント欲しい。

いまいる職場は2つの組織があって、

仮にA課とB課として、俺はB課にいる。B課は仕入先との取引がある。

 

午前11時50分。もうすぐお昼の時間。

我がB課に、仕入先からお歳暮とか何とかで、岐阜県のいい柿が贈られてきた。

岐阜のいい柿は、B課の人たちに一個ずつ配られることになった。

俺は柿があまり好きではないし、家の人も殆ど柿は食べないが、

まあ、断るのもアレなので、ありがとうございますと言って一個もらった。

 

そのときA課のお局的存在、N山さんがボソっと言った。

 

あー、私たちA課あってのB課なのにねぇ。

直接付き合いとかないから、仕入先にはわからないし、まあ仕方ないかぁ。。。

聞こえなかったのか知らないふりをしたのか、特に誰も何も言わなかった。

 

そのまま、お昼の鐘が鳴った。

俺は食堂に向かいながらN山さんの事を考えた。

N山さん自体は若干気が強いタイプだけど、仕事に責任感もあって、

普段の雑談も楽しい良いおばちゃんだ。

俺の柿は、N山さんにあげたほうがいいのではないか。

俺は柿が好きではない。N山さんはめちゃくちゃ柿が好きなのかもしれない。

B課のメンバーで、そういうのを察するべきなのは、一番年下の俺なのかもしれない。

 

しかし。

何と言って柿を渡せばいいか。

ストレートに渡しても、N山さんにもプライドがあるから、

いやいや冗談よ自分で食べなさい、とか言って断るかもしれない。俺だったら断る。

ならば、実は俺は柿を食べないんです。お好きでしたらどうぞ、

みたいな言い方がスマートか。

でも自分が嫌いなものを人にあげるのもどうか。感じ悪いか。っていうか嘘っぽいか。

んんー。

梶井基次郎方式か。

飯を食ったら早めに席に戻って、西山さんのキーボードの上に

檸檬のごとく柿をそっと置いておくか。

わたくしのキイボウドのうへには、柿のかほりが漂つていました。

キモい。全然違うな。誰が置いたか分からない柿なんか食いたくないよな。

やっぱあげないほうが逆にいいのかも。

 

俺はずっと柿とN山さんの事を考えながらラーメンを食った。

ていうか好きでもない柿を貰ったからこうなったんだ。

りんごやみかんだったら普通に貰ってN山さんの事など気にしなかったのに。。。

 

食事が終わって、やはりN山さんに柿を渡したい気持ちは消えなかった。

他の人たちがいない2人だけのタイミングがあり、俺は告白した。

正直に、俺は柿をあまり食べないし家族も食べないのでよろしければそうぞ、

いい柿らしいですし好きな方が召し上がったほうがいいと思うので、云々と

最大限イヤミにならないようにN山さんに言った。

 

N山さんはいい柿のごとく顔を赤らめて、

いやいやそんなんじゃないのよ、ほら、ごめんねなんか、奥さんにあげてよ、

ほんとゴメンゴメン。といって受け取ってくれなかった。

 

N山さんに恥をかかせ、俺もめちゃくちゃ気まずい感じになり、

午後の始業チャイムが鳴った。

いい歳こいてオバちゃんに告白みたいな事をして、しかもフられるとは。

俺は柿をビニール袋にいれてカバンの奥ににしまった。

 

これだから柿は嫌いだ。これは絶対に渋柿だと思う。