ガンダム

会社のあたらしい上司が、しょっちゅうガンプラを作る人だった。

あまりにも楽しそうにそれを語るので、ガンダムをちゃんと通ってない俺も、

不惑にして、ちょっと気になった。ガンダムか。。。

 

ガンダムは深い。敵にも敵のドラマがある。

そんな話を好きな人から聞いてはいた。

そういや学生のときのゼミの先生(女)もガンダムガンダム言っていた。

 

でも、メカの戦いのようなものに、俺は子供の頃からあまり興味を持てなかった。

四角くて堅い無機物が火を噴き、光線を出し、物理的衝撃を与え、

互いを損傷し合うという行為に子供ながらに意味を見いだせなかったのかもしれない。

生身の体と体で技を掛け合う、国技と呼ばれるマーシャル・アーツを

実際に18歳までやっていたのも、あるかもしれない。

そんなに強くはならなかったけど。

 

ガンプラ上司にどれから観たらいいすか、と聞いたら、

「全部」と意味のわからない返事をされた。ガンダムの人はめんどくさい。偏見だが。

 

ネットフリックスに、多分初期作品だろう、「機動戦士ガンダム」があった。

1981年作。2時間19分。すごい古い。めっちゃ長い。

クレジットだけでもう消化不良である。おなかがゲルググである。

でもいく。アムロ、いきまーすw

▶︎再生

 

 

2時間19分後。俺は圧倒された。

いまから40年も前に、50年後の世界として、こんな壮大で悲しい未来の話が

紡がれていたなんて。

 

四角い無機物のぶつかり合いなんかじゃなかった。

人間と人間の話だった。場面場面がすべて、誰かと誰かの物語だった。

アムロとシャアの。

アムロとブライトの。

アムロとフラウの。

シャアとガルマの。

そしてアムロと、母の。

事情と事情の、業と業のぶつかり合いだった。

おいおい勘弁してくれよ。ハンパねえよ。

 

アムロいきまーす、とか今まで知らずにフザけて使っていた自分を恥じた。

めちゃくちゃ覚悟を決めた台詞じゃん。

 

お父さんにも打たれたことないのに

認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを

ただのザクとは違うのだよザクとは

などのなんとなく知っていた名言もたくさん脳に染み込ませることができた。

えらい坊さんに説かれた言葉のようだ。ありがたいありがたい。

 

ラストシーンが全く白黒なく、終戦などせず。

これからも果てしなく続いていく戦いであることを予見させるものだったのも、素晴らしい。

どこまでも続くどこまでも悲しい物語。だぞと。

驚いた。初回作にして、終わらせないラストシーン、そんなの無くないか。

おおお鬼映画。

 

 12歳くらいのとき、SDガンダムのカードダス(1枚20円)をストーリーも知らず

ただただ友達と回しまくっていた自分に言いたい。

「まずは、機動戦士ガンダムを観ろ」と。

早く母ちゃんに頼んでレンタルビデオ屋行ってこいと。

キラキラのカードが出たぁ!じゃねえって。

話は、それからだ。

 

ガンプラ上司が「全部」と言った意味が、わかった。